かれこれ何年ここで過ごしたのだろう。
学生時代はこの街だった。
深夜のアルバイトでそのまま店に泊まり、翌日昼過ぎに店で目覚めて、そのまま新宿の銭湯へ。
ハンバーガーをかじりながら街をぶらぶらしているともう開店準備の時間。
自分って学生の身分だよなぁと、ふと本分を思い出し、そしてその頭を振り払うように店に入る。
毎日がこの繰り返しだった。
むさぼるように存分に読書し存分に映画を見た時代だった。
そこらへんの学生よりはかなり稼いでいたがいわゆる放蕩生活には追いつかない。
学生仲間のほとんどが六本木を遊び場としていた時代に、自分だけは断じて新宿だった。
この街の汚さが美しかった。
店の仲間は新宿のど真ん中の汚いアパートに暮らしていた。
たまに帰る自分の住家は世田谷だったから、このアパートの汚さは閉口した。
都会でしがみついて生きるというのはこういうことを言うのだろうと思った。
一見、チンピラ風の彼は帰郷した際にはお袋さんにだまって1万円を置いてくるという。
誰も教えてもいない親への思慕である。
そこから彼はどこにいったのだろうか。
私とのちょっとしたいさかいで店を飛び出して行った。
自分と言えば、その後、何もなかったかのように就職し企業人となった。
それこそ今、女房子供に手を焼きながら生きている。
郊外に家を建て普通に通勤し普通に帰宅し普通に飯を食い、普通に眠っている。
私の中に住み着いたはずのあの新宿の根性はどこに残っているのだろうか。
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