2013年4月30日火曜日

名画座

昔は至るところに名画座と呼ばれる映画館があった。

古い秀作を安く提供するのである。

おかげで「ローマの休日」はもう何十回見ただろう。

学生時代に東銀座にあった「銀座ロキシー」に毎日のように通ったものだ。

一日過ごした。

ヘップバーンの美しいことといったらなかった。

グレゴリーペックもまたかっこいいを過ぎている。

モノクロのフィルムだが、美しい映像。胸を締め付けられながらスクリーンを眺めていた。

昔はこんな名画がたくさんあった。

「地上(ここ)より永久に」もそうだ。「誰がために鐘は鳴る」もそうだ。「街の灯」などは、あの「あなたでしたの・・・・?」というラストシーンを思い出しただけで切なくなる。

田舎から出てきたさみしさもどこかにあったのかもしれない。

とにかく映画づけになった時期だった。

ロードショーははしごした。

映画雑誌は買いまくった。

ラジオの論文懸賞に応募して佳作を得た。

今でも覚えているが「エレファントマンはなぜヒットしたか」という論文テーマだった。

ラジオで名前が呼ばれたときは小躍りした。

映画会社に入ろうかと真剣に思った。

映画好きの血が今息子に継がれている。

その息子の書いた映画評論を読んでみた。

我が子だと思った。

2013年4月26日金曜日

蕎麦

蕎麦を「たぐる」という。

ぴったりの表現である。

例えば浅草の「並木藪蕎麦」。

まずビールと一緒にせいろを二枚。盛られた蕎麦の頂上からたぐっていかないと、麺が

からんでしまい、必要以上の蕎麦をたぐってしまうことになる。

あっという間になくなる。

足りないならそれからにしんそばを注文すればよい。

ただし私はほとんどせいろ二枚で終わる。

なぜならその前にかならず一食済ませているからだ。

食べすぎである。深夜の銀座で占める蕎麦は「池谷」だろう。

本格的な手打ちそばを食わせる店だ。

田舎蕎麦んなどの迫力はさすがである。

「きこ打ち」なんか食べるときなどは話しかけてほしくないほどに蕎麦に向き合いたい。

神楽坂の「志な乃」。田舎蕎麦系であり安定感のある蕎麦を食わせる。

ビールを頼むと揚げた蕎麦がつまみにでてくるのでまず一杯。

そうこうしているとけんちん汁が届くので今度はこれで体を温める。

そしてザル蕎麦をゆっくりと時間をかけていただく。

これでもうフルコースのランチに匹敵する。

もう20年近く通っている蕎麦の名店である。

子供が幼稚園のころ食べさせたら「麺が固くておいしい」と言う言い方をしたのを思い出す。

子供の舌に合う蕎麦とは・・・・と恐れ入ったのを思い出す。

うどんすき

知らない人も多い。

かつおの出汁でとったスープにうどんと野菜を入れて、しょうがやもみじおろしの薬味で食す関西の鍋料理である。

美々卯(みみう)にはもう何度いったか知れない。

ここの出す凍結酒(シャーベット状のお酒)とこの鍋とがまたたまらなく相性がいい。

持論だが、うどんすき(美々卯のうどんすき)は決して冬の料理ではなく、真夏の料理である。

ガンガン利いたクーラーの中で煮えたぎる鍋をつつきながら冷えた凍結酒をあおり汗を抑える。

この店の鍋はへりが滑らかになっている。

うどんをとるときにこのへりに滑らせて自分のお椀にもっていくのである。

そうせずにうどんを持ちあげてしまうと箸からすべり落ちたうどんで煮えたぎった熱い汁が飛び跳ねて危険だからである。

だから美々卯にいくと目の前の連れが経験者可そうでないかがすぐ判別できる。

初心者は100%うどんを持ち上げるからである。

得意げに教えてあげると皆関心するが、これもうどんすきの一興である。

それから生きエビ。車エビが生きたままでてくる。

これをトングを使って鍋に入れるという殺生を行う味わい方なののだが当然エビが暴れるので、汁が飛び散る危険性があるのだ。

初心者はどこをつかんでいいかわからないから必ず失敗する。

経験者は頭をつかんで頭から汁に突っ込むのである。

まあ一度ご来店あれ。

焼肉

初めて食した時、世の中にこんなにうまいものがあるのかと思った。

「トラジ」という店名も覚えている。

何杯もごはんをおかわりした。いくらでも入る気がしたものだ。

親父が死ぬ前に病床でこういった。「看病で疲れている母さんを焼肉屋に連れて行ってくれ」。

初めて連れて行ってもらったその店に何十年ぶりに行った。

二人とも食が進まなかった。美味しかったがあの時のような感動も何もなかった。

今は、焼肉も上品になった。あの頃は焼くだけだったが、今や様々な周辺料理ができている。

焼き器具も進化しており油の強いホルモンを焼いても全く煙がたたない。

あれは焼肉屋ではないのかもしれない。

焼肉という料理」を食わせるレストランと言った方がよさそうである。むかしはデザートなどなかった。

今は必ずアイスクリームやシャーベットがある。

それだけ女子供が普通に食べられる身近な料理になったということだろう。

上品さは悪くはないが、やはり大阪の鶴橋のような煙の世界がいとおしいのである。

焼肉を嫌いだという人を聞いたことがないくらい、完全に日本人の食生活に根付いた韓国料理「焼肉」。

あのステーキとはまた違う味の深みが日本人の舌が持つDNAをとらえて離さないのだろう。

寿司屋

寿司屋を居酒屋として使うことが好きだ。

刺身は好物であるが、握りがあまりすきでない。


まだ会社員になりたての頃だが、残業すると残業飯がふるまわれるのだが、決まって寿司だった。

毎日食べているといつの間にか握りが嫌いになっていた。

だからすし屋では刺身以外はきゅうり巻しか食べない。

カウンダーにどっかり座り込んで、口がさみしくなったら都度アテを頼む飲み方が大好きであり、定着してしまったようだ。

この飲み方、高くつく。

店側もしめたもので、自分のよう客から金をとる方法は心がけている。

とにかく小声でネタを勧める。絶対に断らない客とわかっているからだ。

高くつくがこれが一番落ち着く自分流の味わい方なのである。

生まれて初めて寿司を食べたときの記憶が鮮明に残っている。

小学校の1年くらいだったと思う。親父が街まで連れて行ってくれた。世の中にこんなうまいものがあるのかと思った。

板さんの打ち手や店中を飛び交う気合の入った声、酢飯の香り、カウンターに沿って流れる手洗い用の川・・・・なんかを覚えている。

決定的に覚えているのはそして、帰りのバスの中で一緒に行った姉に発疹が出てきたことである。

鯖にあたったのである。不思議に自分には出なかった。

その頃から寿司屋とは相性がいいのだろうか。

中野

キリンビール本社が越してきた。

周辺の飲食店は軒並みキリンになることだろう。

そして駅前には大学が3校?できている。等々で昼間人口が2万人増えたというのだからすごい。

これからいろんな意味で活気を帯びた街になっていくだろう。

北口から全長240メートルの中野サンロード商店街。実に乙な商店街である。

入居店舗数は100店舗以上あり、老舗、大資本、生業店が混在しており、地元人以外の観光客も含め、相当賑わいのある街である。

この通りの右手に割拠するあまたの飲みや達がまたこの上なくディープでいい。

決して煌びやかではないのである。

どこかノスタルジーを感じるようなたたずまいである。

こないだなどは客の注文に応じて昭和の歌謡曲をスクリーンで映すバーに入ったが、まあよく考えたもので、まるでカラオケを注文するような方式で見たい聴きたい歌手と楽曲を選んでオーダーする。

もうお客は懐かしがって大喜びしている。店主に拍手を送りたい。

この店の姉妹店に「ロック」バージョンの店があるそうで、ここも抑えてみたいものだ。

中野は奥が深い。中央線の入口の街としての風格が十分にある。

昼はどうなっても許せるが、お願いだから夜の顔だけは変わらないでほしい。

西荻窪

たまらなくいい町だ。

南口を降りて右に折れ更に右にいくと有名な「戎(えびす)」がある。

この小路に4か所も戎が点在しているので通称戎通り。

通行の妨げにならないようにうまく道路に椅子とテーブルが並べてあり、ここで一杯。

この通りは私有地らしく地主が玩として立ち退きしないので、いわゆる駅前開発がなされない。

この戎を中心とした一帯には小さな店がたくさん軒を並べており一種の西荻文化を形成している。

開発されるとこの西荻文化が消滅する。

が故に地主は立ち退かないとのことである。見事だ。ありがとうといいたい。

以前、戎で飲んでいたら有名芸能人がここを通りながら、「ここって映画のセットみたい」って言っていた。

もう慣れっこになっているが確かに改めてみると三丁目の夕日的な古い昭和の映画セットさながらの雰囲気がある。

とにかく戎は安い。とにかく安いのだ。そして一人のお客をとても大切にする。

なので一人の常連客がものすごく多い。


それこそ毎日ここに通っている人は大勢いると思う。

一方北口にも戎がある。文字通り北口店。ここも連日満員であ、一人客の多いこと多いこと。

西荻窪は戎でもっていると言っても決して過言ではない。

そしてそれに連なってディープな店が軒をつらねている。

おしゃれな店には若者がしっかり入っているし、これまたリースナブルな値段なのである。

とにかく今は南口戎通りの地主さんに頑張ってもらうしかない。